「知る」ことは金銀に勝る財宝だと。
最近そう思う。
知ろうとしないことは価値ある物を自ら破棄するに等しいこととも思う。
しかし。
本当に自分は知ろうとしているだろうか。
目の前に在る物を。
例え如何に無価値と思えるものでも、本当に無価値かなどわからない。
99.9%の無価値に埋れた0.1%の有用性を見捨ててはいないだろうか。
ただそれは大変に難しい。
0.1%の有用性が見つけられるとは限らないし、99.9%の無価値がどれ程己を不快にさせるものとも知れないのだ。
とは言え。
それを捨てればきっと凡夫である私には何も残らない。
99.9%の無価値どころか99.99%の毒を呑んでまで0.01%の有用性を掴むくらいのことをしなければ自分が得られる物は何もない。